旅と労働のエブリディ

暇な学生の放浪記

【ミネアポリス鉄道散歩 #1 】ミネアポリス鉄道今昔

アメリカ合衆国ミネソタ州の最大都市ミネアポリスは、19世紀の後半から、肥沃なプレーリーで収穫された小麦の加工と、鉄道を利用した輸出で栄えました。今日では、鉄道貨物や小麦の製造業は衰退、代わって、中西部とりわけ同州の金融の拠点として、また学生数5万人を超すミネソタ大学を中心に学問の拠点として、そしてベストバイやターゲットといったアメリカを代表する大企業の拠点として、三次産業への転移が進められています。そんなミネアポリスは、地形歴史的経緯から街中に鉄道や廃線跡がみられます。

 

このシリーズは、そうした現役の貨物線やかつて鉄道が走っていた廃線跡を、ミネソタに留学中の筆者が散歩やサイクリングしながら散策記録です。

 

初回となるこの記事では、まずはミネアポリスの鉄道の歴史や現況について紹介したいと思います。なお、このシリーズはあくまでも次回からの探訪録がメインなので、歴史紹介については断片的な知識とWikipediaに基づきます。

現在

アメリカの交通というと、鉄道よりも自動車や飛行機というイメージが強いと思います。旅客輸送についてはその通りですが、貨物列車はまだまだ現役です。今日でも広大な北米大陸は網の目のように鉄道網によって結ばれ、国際船舶と同等の大きなコンテナを二段に積んだ、数十両にわたる長編成の貨物列車が頻繁に行き来しています。

 

こちらが、現在のミネアポリス周辺の鉄道地図。線路で網の目のように鉄道で結ばれ、ミネアポリスには線路網が集中していることがわかります。

(Andrew Andrusko, "Minnesota Operating Railroads: 7 Country Metropolitan",Minnesota Department of Transportation, 2022,  https://www.dot.state.mn.us/ofrw/freight/data.html)

 

他方、旅客輸送では鉄道はすっかり衰退してしまいました。長距離移動を担うAmtrakは、シアトルとシカゴを結ぶEmpire Builder号を一日1往復運行するのみで、州内のDuluthやRochesterといった他の都市への旅客列車は廃止されてしまいました。このほかに、郊外のBig Lakeからミネアポリスに至る通勤用の近郊路線Northstarがありますが、平日のみわずか4往復の運行です。

Amtrakでシアトルからミネソタに行った時の乗車記はこちら

cod2224.hatenablog.com

 

現在、ミネアポリスには貨物の拠点が二つ、旅客鉄道の拠点が二つあります。

ミネアポリスの北部に、機関車の整備なども行える広大なBNSFレールヤードと、ミネアポリスから数キロ離れた州都セントポールとの間にある、CPレールヤードです。

CPレールヤードの近くにはかつてはMidway StationというAmtrakの駅も置かれていました。

 

Amtrakの拠点はセントポールのUnion Depot。1面2線の島式ホームと数本の貨物線に、鉄道施設を回収したバス発着場を備える駅で、20世紀初頭に作られた荘厳な駅舎が特徴です。

Northstarの発着駅は、野球チーム、ミネソタツインズの拠点があるターゲットフィールドの横にある1面2線の島式ホームと貨物用の通過線1本を備えた簡易なもの。

Saint Paul Union Depot (2023)

19世紀の鉄道

ミネアポリスは鉄道によって発展してきました。もともと木材の出荷から始まったミネアポリスの産業は、プレーリーでの小麦の栽培や木材の減少とともに小麦の製粉にシフトしていきます。肥沃なプレーリーの土壌に加えて、ミシシッピ川の河畔に位置し、セントアンソニーの滝によって得られる水力が製粉産業を可能にしました。天然に恵まれた場所にあったわけです。また、ミシシッピ川で南部まで繋がり、19世紀の末にはすでに高層ビルが林立していた大都市シカゴへも近く、州内北部の都市Duluthから五大湖と運河を経てニューヨークなどの東海岸の都市にもつながっていたことも幸いしたのではないでしょうか。

滝の影響で船が入ってくることができなかったミネアポリスでは19世紀の末から鉄道が主要な交通モードとなり、街の中心から各地に線路が敷かれました。

Black and white photograph of the the West Side Milling District of Minneapolis from the courthouse showing the extensive rail yards required for the shipping of grain and flour, ca. 1912. Photograph by Sweet.

こちらの写真は、1912年に街の中心からミシシッピ川を撮影したものです。手前にはたくさんの貨物列車の貨車を見ることができます。ここに写る鉄道は今日ではほぼ全て剥がされてビルに変わっていますが、奥にある製粉の建物は現在でも残っています

 

19世紀半ば、入植・発展に伴い、州内の各地に伸びる鉄道網も建設され、また、1869年にはミルウォーキー鉄道がシカゴがまでの線路を完成させます。1893年にはグレートノーザン鉄道が西海岸の主要都市シアトルへの貨物列車の運行を開始しました。

 

旅客鉄道では、グレートノーザン鉄道とミルウォーキー鉄道それぞれがダウンタウンに巨大な駅を所有し、東西南北への足となっていました。今日でもミルウォーキー鉄道の駅はホテル、イベント会場として残っていますが、グレートノーザンの駅は跡形もありません(こちらもそのうち記事にします)。

"Milwaukee Road Depot" by McGhiever licensed under CC BY-SA 4.0

ミネアポリスセントポールからシカゴへは各社が激しく競合する路線でした。有名なミルウォーキー鉄道のTwin Cities Hiawathaの他に、ステンレスの流線型がかっこいいバーリントン鉄道のTwin Cities Zephyr号、蒸気機関車のシカゴ・ノースウェスタン鉄道Twin Cities 400、グレートノーザン鉄道のエンパイアビルダー号などがミネソタとシカゴを結びました。

"Oregon, Illinois - Twin Cities Zephyr (early 1940s)" by Roger W licensed under CC BY-SA 2.0

グレートノーザン鉄道は日本郵船とも提携し、東はシカゴ、西は横浜や香港がつながりました。

しかし、旅客鉄道は自動車の普及と航空機との競合で下火になります。1971年に政府出資のAmtrak(全米鉄道旅客公社)が設立されると、こうした旅客列車は廃止されます。ミネアポリスにふたつあった駅も廃止されました。旅客営業は、ミネアポリスセントポールの中間にあったMidway Stationに統合されたのち、リニューアルされたセントポールのUnion Depotに移転して今日に至ります。

"Great Northern Station, Minneapolis, Minn." by MCAD Library via Flickr licensed under CC BY 2.0

ストリートカー

これらの鉄道の他に、現在ミネアポリスセントポールには二つのLRTが走っています。ミネアポリスから空港を経てMall of Americaという超巨大屋内モールを結ぶBlue Lineと、ミネアポリスセントポールを結ぶGreen Lineです。かつては両都市には多くの路面電車やケーブルカーが走っており、セントポールにはモノレールまでありました。路面電車や乗合自動車を担ったTCRTは西部の湖水地方でのリゾート開発を行うなど積極的な展開を行いましたが、自動車の普及とともに20世紀半ばには全て廃止されました。21世紀に入ってから、LRTが再整備され、またミネアポリス南北に広がる郊外へは路線バス網と並んで複数のBRTが整備されています。

Map of Twin City Rapid Transit (1894) (public domain in the US)